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東京六大学野球 100 周年記念・“レジェンド始球式”登板:川村丈夫さん(H7年卒)

「一球無双」――二度と戻らない一球に、責任を持つ

神宮のマウンドに、久しぶりの「いい緊張感」が戻ってきた。

東京六大学野球100周年記念事業「レジェンド始球式」に登板したのは、平成7年卒・川村丈夫さん。立教のエースとして六大学通算63試合に登板し、日本石油、アトランタ五輪を経て横浜ベイスターズにドラフト1位で入団。1998年には開幕投手として38年ぶりの日本一に貢献した右腕だ。

「久々にいい緊張感でした。正式にマウンドで投げたのは、コーチ時代の始球式以来だから10年ぶりくらい。神宮で投げたのは現役の2006年か7年……それ以来ですね」

プロでの本拠地は横浜スタジアム。神宮はヤクルトの“敵地”だった。それでも川村さんにとってこの球場は、「大学時代にいっぱい投げた記憶の方が、やっぱり強い」思い入れの深い場所である。

 

「21勝より、27敗に感謝している」

通算63登板21勝27敗。1年秋から7シーズン、先発した翌日も痺れる場面で連投、3回戦までもつれれば月曜日にまた投げる。あるシーズンは13試合すべてに登板した。

「21勝したことより、27敗させてもらえたことに感謝しています。当時はしんどかったけど、それだけ投げさせてもらえたことが自信になったし、知らず知らずのうちに、翌日に残さない効率のいい投げ方が身についた」

高校時代に腰のヘルニアを患い、大学の4年間は腰痛と付き合い続けた。トレーナーもいない、トレーニングは独学。その環境が、かえって“壊れない投げ方”を体に刻み込んだ。プロ入り後も肩肘の故障はほとんどなかったという。

「スピード全盛の時代ですが、ピッチャーはやっぱり、打者の嫌がるところに投げ続けること。僕が憧れたのは空振り三振よりも、アウトローやインコースにビシッと決まる見逃し三振。それがキャッチャーの考えと一致した時の快感は、今でも忘れられない」

 

神宮が、へこたれない心の土台になった

県立厚木高校から一般入試で立教へ。

「県立高校出身の自分にとって、あれだけの観客と伝統の重み中で投げる経験は初めてだった。だから社会人でもプロでも、ちょっとしたプレッシャーにはへこたれなかった。神宮がベースになっています」

 

「何にでもなれる」――自由の学府の強みと、その先

立教らしさを問うと、しばらく考えてからこう答えた。

「自由の学府と言われるがゆえに、いい意味で独自のカラーがついていない。他大学は伝統や文化が根強いけれど、立教は現役の選手たちが毎年、自分たちで作り上げられる。何にでもなれる強みがある」

ただし、と続ける。

「その根底には全力投球、全力疾走など、野球選手としての土台がないといけない。その土台があった上で、文武両道でスマート、その中に熱い心がなきゃいけない。応援してもらえるチームとは何か、一人ひとりが考えてほしい」

 

全員のベクトルが勝利に向いた時、チームは強くなる

部員数は、川村さんの時代の約80人から倍近くに増えた。だからこそ、と強調する。

「ベンチ入りの選手だけじゃない。応援団もアナリストもマネージャーも、特に控えの選手たちが勝利に向かないと、なかなか勝ちきれない。練習に付き合う、毎日見ているからこその気づきを伝える。それが一気にガッと向いた時、強いチームになる。54歳になり45年以上野球をやってきて、そこだけは昔も今も変わらないと思います」

 

後輩たちへ――「一球無双」に込めた思い

座右の銘は「一球無双」。プロ野球選手時代はグローブにもこの文字を刻んだ。

「野球は判断の連続です。キャッチャーのサインにうなずいて投げて、打たれた。 “今のなし”はない。自分の判断には責任を持たなきゃいけない。無双もしたいけど、もう二度とこの球はないし、この判断は今しかない。だから日頃の準備が必要だし、悔いなく判断できるようになろうよ、と」

社会人・日本石油時代に叩き込まれたのは、一球の重さだった。トーナメントでは、一つのミスで明日の試合がなくなる。「一足分の差で結果は変わる。自分のところに飛んできた打球に一足分間に合わず、それでサヨナラ負けになっていいのか。なんでその一足分を抜くんだ、と」。「ピッチャーは背中を見られている」。少しでも抜いた動きをすれば、指摘したのは指導者ではなく選手同士だった。だからこそその言葉は重い。その文化を自分たちで作ることが、野球を離れた後の人生にもつながっていく。

「100年続いてきたリーグの重みを感じてほしい。最後の一球に対する日頃の準備が本当にできているか。その突き詰め方の差が、勝負を分ける。立教大学時代の恩師である横川賢次監督(S38年卒)の言葉を借りるのであれば『いい野球はいい私生活から。』自戒を込めて、ですけどね」

そう笑った川村さんの言葉は、後輩たちへの激励であると同時に、二度と戻らない一球と向き合い続けてきた野球人の、静かな矜持でもあった。

 

文:立教大学野球部OBOG会広報委員会 原田 弘喜(H27年卒)