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東京六大学野球 100 周年記念・“レジェンド始球式”登板:横山忠夫さん(S47年卒)

背番号28、再び神宮へ──立教の精神をつなぐ投球

10月12日、神宮球場。100年の歴史を誇る東京六大学野球の記念事業として行われた「レジェンド始球式」に、横山忠夫さん(昭和47年卒)が登板した。

大学時代と同じ、背番号「28」。その数字には、半世紀を経ても色あせない立教への誇りが込められていた。

 

「ぶっつけ本番でした」――それでも笑顔で

「数日前から緊張していました。キャッチボールもできなくて、前の週に草野球で少し投げておくつもりが雨で中止になってしまって。ぶっつけ本番でした」と笑う。

低い軌道のボールはワンバウンドで捕手のミットに収まった。

「60点くらいですかね。ストライクゾーンに決めたかったし、現役の選手たちの前で、もう少しいい姿を見せたかった」と語る表情は、現役時代と変わらぬ真剣さを宿していた。

 

網走から神宮へ――“もう野球はできない”と思った高校時代

横山さんは網走南ヶ丘高3年夏、1967年の甲子園に出場。1回戦敗退に終わったが、試合後は「もう野球ができなくなる」と大泣きしたという。

「当時は、田舎では高校で終わるのが普通でした。社会人で続けるなんて知らなかった。だから本当に終わりだと思っていたんです」

そんな彼に声をかけたのが、立教OBで審判員を務めていた人物だった。

「立教を受けてみないか」――そのひと言が人生を変えた。

「長嶋さんの大学、というくらいしか知らなかったけど、“野球ができるんだ”と思って、親に無理を言って受験しました」

 

ノーヒットノーランの裏にあった“運の味方”

立大2年で背番号28を背負い、3年秋の東大戦では立教史上3人目となるノーヒットノーランを達成した。

「最後の打者のライナーがセカンド後方に飛んで、“やられた”と思ったんです。でも、点差が開いていたからライトを守っていた先輩が中に寄っていて、たまたま捕ってくれた。本当に運も味方しないと記録は生まれないと思いました」

記録の裏に、仲間への感謝を忘れない姿勢がにじむ。

 

巨人ドラフト1位、長嶋監督との絆

1971年、巨人にドラフト1位で入団。1975年には長嶋茂雄監督のもとで8勝を挙げた。

「自分のような投手でも怒られた記憶はあまりありませんでした。厳しい方でしたが、本当に温かい方でした」

長嶋さんとの思い出を語るとき、横山さんの声は少し震えた。

2017年、立教大学が59年ぶりに全日本大学野球選手権で決勝に進出した日。

「朝7時半に電話があって、『監督が見たいと言っている』と。慌てて巨人球団や連盟にも連絡して、10時半に神宮にお迎えしました。階段を一段ずつ上りながら、あの貴賓室までご案内したんです」

その日の7回、校歌が流れたとき、横山さんは思わず尋ねた。

「監督、覚えていらっしゃいますか?」

長嶋さんは「覚えてるよ」と立ち上がり、二人で大声で歌った。

「一生の思い出です。あのときは本当に、神様と一緒に歌っている気持ちでした」

 

“お前が羨ましい”――堀内恒夫さんの言葉

巨人の先輩・堀内恒夫さんとは今も親交がある。ある日、堀内さんがふと口にした言葉が忘れられないという。

「“お前が羨ましい”と言うんですよ。俺には全国に知っている人は多いけど、友達はいない。お前には全国に友達がいるって」

「立教出身です」と声をかけてくれる人との繋がりが、どれだけの財産かを改めて感じたという。

「スター選手は孤独なんですよ。でも、自分は立教で、人との繋がりを持てた。それが本当に幸せなことだと思っています」

 

現役へのメッセージ──「立教は、文武両道の誇れる大学に」

最後に、現役部員や後輩たちへの言葉を尋ねると、静かに語った。

「自分たちの時代は上下関係が厳しくて、推薦もなく、人数も少なかった。でも今の立教は本当にいい大学になっている。野球も強くなったし、学生たちは勉強もしている。文武両道の環境が整っていると思う。だからこそ、立教で野球ができることを誇りに思ってほしいですね」

 

文:東京六大学野球連盟活性化委員会 清永浩平(H23年卒)