「感謝を込めた一球」
2025年9月27日、神宮球場。
東京六大学野球100周年記念事業の一環として行われた「レジェンド始球式」に、山口高誉さん(平成3年卒)が登板した。
大学通算19本塁打、4年秋には首位打者、ベストナイン4度を獲得。さらに満塁本塁打3本という記録は今も東京六大学野球連盟の最多記録として残る。卒業後はHONDAに進み、社会人野球でも活躍した。
緊張の先にあった“感謝”の想い
「何日も前から緊張していて、アナウンスが流れて歩き始めてからはあまり覚えていません。」
始球式後、山口さんは笑顔でそう語った。
現役時代には幾度も試合を重ね、慣れ親しんだ球場でも、マウンドという舞台はまた格別の緊張感があったという。
「試合の流れを乱してはいけない、どうすれば感謝を表せるか――そればかり考えていました。」
結果は見事なストライク投球。
「マウンドの穴に足が少しはまって重心がズレたんですが、“やばい”と思ったら終わりだと思って腕の振りでまとめました。上出来です(笑)。」
その一球には、誠実さと静かな気品が宿っていた。
「仲間に恵まれた」――強打者を支えた結束力
印象的な試合を問うと、山口さんは少し考えた後に微笑んだ。
「慶應との第三戦で、0−1で負けていた場面。満塁ホームランで4−1になって、“やっと勝てる”という空気が生まれた。」
しかし、すぐに話はチーム全体の力へと及ぶ。
「キャプテンの溝口(現・杏林大学監督)を中心に、本当にいいチームでした。厳しくも魅力的で、人の足を引っ張る選手は一人もいなかった。控えやマネージャーも含めて、それぞれが自分の役割をきちんと果たしていた。」
1年目から神宮で結果を残した強打者が、今もなお口にするのは“仲間への感謝”だ。
「試合に出ている人も出ていない人も同じ方向を向いていた。面と向かっては悪口ばっかり言いますけど(笑)、心の中では本当に感謝しています。」
支え合いの精神こそが、勝利を呼び込む最大の力だった。
六大学出身としての矜持
卒業後は社会人の舞台へ。
「東都や首都の出身者から見れば、“六大学出身”は少し色眼鏡で見られるところがある。伝統や格式は胸の中にしまっておくもので、社会でひけらかすものじゃない。」
数々の実績を誇ってもなお、謙虚に努力を積み重ねた。
「若い頃は野球をやっていたこともあまり話しませんでした。でも今は、ようやく笑って話せるようになりましたね。」
その姿勢は、六大学の名を背負う者としての“品格”そのものだ。
「整える」――横川監督が示した原点
4年間指導を受けた横川賢二監督の教えを振り返ると、山口さんの言葉は穏やかになる。
「“私生活をちゃんとやれ”ということ以外、細かいことは言わないリベラルな監督でした。ただ、監督自身がグラウンドで雑草をむしっていたんです。そういう背中を見て、自然と『他の人のために』や『次の人が気持ちよく使えるように』という意識が生まれました。」
サンダルを揃える、風呂場を整える――。
一見小さなことの積み重ねが、試合での落ち着きや信頼につながっていった。
「押しつけではなく、みんなが自然に支え合っていた。憎まれ口をたたきながらも、誰かを思いやる――そんな雰囲気がありましたね。」
それが、当時の立教のチームカラーだったのかもしれない。
今の立教へ――「神を味方につける瞬間」を信じて
近年の立教にも、山口さんは温かい視線を向ける。
「今の立教は本当に強い。戦力も揃っているし、もう紙一重。最後は運やめぐり合わせですね。でも、立教には“神を味方につける”瞬間がきっとある。その時を逃さないことだと思います。」
同期の溝口氏が監督を務めた2014年以降、キャンプを訪れるなどOBとしてチームを見守り続けている。
2017年の優勝・日本一の瞬間も、スタンドで見届けた一人だ。
次の100年へ――受け継ぐべき精神
最後に、これから立教を志す後輩たちへメッセージを尋ねた。
「早稲田や慶應にはそれぞれの伝統があるように、立教にも独自の空気があると思います。これまで100年以上にわたって立教野球部に関わってきたすべての人たちが築いてきた土台を大切にしながら、これから先、“立教っていいな”と思ってもらえる存在になってほしい。」
9月27日の一球には、感謝と誇り、そして仲間を思う心が込められていた。
その軌跡は、これからの立教野球が歩む未来への指針となるだろう。
文:東京六大学野球連盟活性化委員会 清永浩平(H23年卒)