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東京六大学野球 100 周年記念・“レジェンド始球式”登板:野口裕美さん(S58年卒)

「勝ち点3を取り続けろ~後輩に託した“神宮の教え”~」

神宮球場のマウンドに、紫紺のユニフォーム姿で立ったひとりのレジェンドがいた。
東京六大学野球 100 周年記念事業の一環として開催された「レジェンド始球式」に登場したのは、昭和58 年卒・元立教大学エースの野口裕美さん。
投じた一球は、力みによる乱れを抑えた見事なノーバウンド投球。記念事業という華やかな舞台で、穏やかに、そして誠実に、野口さんは後輩たちに背中を見せてくれた。
「40 年以上ぶりにユニフォームに袖を通しました。マウンドに立つと、さすがに景色がガラッと変わって緊張しましたけど、昔の感覚が一気にフラッシュバックしてきて……感慨深い時間でした」
神宮のマウンドを降りたあと、野口さんは決して多くを語るわけではない。
だが、静かに紡がれる言葉の端々に、野球への情熱、そして後進への願いが込められているのがよくわかる。

 

苦しみを越えた 4 年間が、社会での礎になった

「大学では寮生活の 4 年間、特に下級生時代は厳しかったです。でも、あれをやり遂げたという自負が、社会に出てからの支えになりました。あの時よりはマシだって、思えるので」
決して厳しさを美化しない。けれども、その経験があったからこそ、自身の人生を切り拓けたのだと、今の野口さんは振り返る。
昭和の終わりを駆け抜けた元エースは、戦後最多の奪三振数を記録し、連投完封という離れ業をもってプロへの道を切り開いた。だが本人はそれを誇らしげに語ることはない。
「今考えると、よく投げたなぁと思いますけどね。あれがあったからプロに行けたし、感謝の方が大きいです」
そんな野口さんが選んだ背番号は「14」。現役時代と同じナンバーを、今回の始球式でもリクエストして身に纏った。

 

背中で語る「立教らしさ」

「守って凌いで勝つ」というスタイルが主流だった当時と、攻撃力を軸に据える現代の立教。変化を正しく受け止めつつも、野口さんは「チームの柱」は変わらないと語る。
「打てるチームになったけれど、やっぱりピッチャーを中心に守りを固めるのが勝利の土台。そこが安定すれば、もっと優勝に近づけるはずです」
試合前には、後輩たちにこう伝えたという。
「毎シーズン、勝ち点 3 を取る。これを積み重ねていくことが、優勝への一番の近道だ」
神宮のマウンドを降りた後、ベンチ前でその言葉を直接届けた。静かだが、明確なメッセージだった。

 

若き後輩たちへの願い

「自分がなぜ野球を始めたのか。原点を忘れずにいてほしい」
野口さんの言葉は、今を生きる現役部員たちの胸にも響くはずだ。神宮に出場できる者、そうでない者。
立場は違えど、全員が「野球が好きで、ここまで諦めずに来た」ことに違いはない。
「僕自身も、当時は“巨人の星”に憧れてプロを夢見ていました。でも、目標を叶えて満足してしまった部分もある。だからこそ、後輩たちには“次”を見ていてほしい。目標は常にアップデートし続けるものだから」
この言葉は、野球部だけに向けられたものではない。部外の誰が読んでも、「努力とは何か」「継続とは何か」を思い出させてくれる。

 

最後に

「何かの縁ですね」と笑顔で語った野口さんは、かつての東大戦の相手・大久保さん(現東大監督)と再会を果たしていた。
月曜日の 3 回戦に 2 万人を集めた“赤門旋風”の只中で、悪役のように立ち向かった記憶も懐かしく語ってくれた。
それは、単なる懐古ではない。野球がくれた縁、人が繋ぐ物語。そして、母校への変わらぬ想い――。
40 年の時を超えた一球には、野口裕美という一人の野球人の、静かで揺るぎない「誇り」が宿っていた。

 

文:東京六大学野球連盟活性化委員会 清永浩平(H23年卒)